電気自動車 たま

1947年(昭和22年)、立川飛行機は最初の電気自動車を試作した。

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試作電気自動車 EOT-46B

立川飛行機は敗戦の年の1945年12月には自動車の研究を始めていた。戦後、米軍からの軍用自動車修理を受注していたことから、その軍用車を研究材料としていた。

ボディはオオタ・トラックをそのまま使い、日立と湯浅などの協力を得て、荷台の下にバッテリー、ボンネット下にはモーターを配置しEOT-46Bを完成させた。

1947年には試作車EOT-46Bに新しい独自のボディを載せたEOT-47作り、同じ年には更にEOT47のシャーシーを流用してES4-47 2ドアの4人乗りセダン 電気乗用車を完成させた。

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1947年 たま ES4-47 モーターは4.5馬力 最高速30km/h

この間に立川飛行機の施設の全部を米軍に接収されてしまったため、1947年に自動車関連部門を独立させ、東京電気自動車を発足させた。工場が府中にあったことから地名にちなんで「たま」と名付けられ、1947年8月に発売された。

販売価格は約45万円で、当時としては高価なものであったが、燃料の統制が行われていてガソリン不足でもあったことで、それなりの需要はあったが、戦後まもなくのため資材不足の時代でもあったため生産台数は少量であった。

1948年には新型車としてEMS型たま・セニアとE 4S型たま・ジュニアを発売した。

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1948年たま・セニア モーターは5.5馬力 航続距離 平均速度22.8km/hで231km

たま・セニアは中型車のボディサイズで2ドア5人乗りで、5.5馬力モーターと80ボルトのバッテリーを載せていた。車両重量は重く1650kgで、バッテリ重量が車両重量の三分の一以上を占める675kgもあった。

1949年、たまセニアは4ドアセダンになり、たま・ジュニアも4ドアになり、この年には工場を三鷹に移転したことに伴い、社名をたま電気自動車に変更した。

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1949年ー1950年 たまセニア

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1949年、ES4-47のスタイルを変更した たま・ジュニア 平均速度32km/hで航続距離119km

1950年に始まった朝鮮戦争によりバッテリーに使う鉛の値段が高騰し、一般に入手が困難だったガソリンの統制が解除され自由に出回るようになったことで、たまの生産が1950年に中止された。

1948年から19489年の約2年間が電気自動車のピークにあたり、自家用車をはじめとして都市部でタクシーとして多くが利用された。この間のたま電気自動車の生産台数は月産100台であった。

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