戦後まもなくの少量生産車⑤オオタ
小規模自動車メーカーにより生産された小型乗用車オオタは1923年(大正12年)に一号車が試作された。
1949年オオタPA エンジンは SV760cc 20馬力/4000rpm ブレーキは機械式でボディの外反パネルのほとんどは職人による手でのたたき出し鈑金
1933年(昭和8年)には750ccの小型乗用車とトラックの始めた。1935年には三井系資本のより社名を高速機関工業と改めた。
戦後はトラックの生産から始め、1948年にはオオタ乗用車「PAセダン」セダンを発売し1952年には社名をオオタ自動車工業と改めた。
1951年 オオタPA2 ドアヒンジが内部へと変更され、その他、細部が改良された。
1951年 オオタPB PAよりひとまわり大きいボディに少し排気量の大きい903ccのエンジンが搭載された。ブレーキは機械式から油圧になった。
1952年 オオタPC 東京電気自動車「たま」のボディに760ccのエンジンを載せたPC
1953年ー1954年 オオタPA5 4ドア エンジンはSV903cc 23馬力/4000rpm 最高速80km/h
1954年 オオタPHⅠエンジンシャーシーはPA5と共通、曲面フロントガラス ボディを外注していたため、外装ボディだけが異なる車種構成が多かった。
1955年 オオタPF 外反ボディだけが異なるPFモデル
1955年 オオタPX PFと共通シャーシー
1955年 オオタPK2 タクシー会社の注文に応じて生産されたモデル
1956年にオオタPK2が東京モーターショーに出品されたのがオオタ乗用車の最後のモデルとなった。
1955年頃には大手自動車メーカーにより大量生産体制が進められていた時代であり、オオタのような小規模な工場での少量生産の自動車はしだいに追い詰められていくようになった。
戦後の復興期は小規模な町工場的な自動車メーカーから大資本のメーカーが乱立している時代から統廃合が進んでいく時代でもあった。そのような中、オオタ自動車工業は1957年に日本内燃機製造に吸収合併され、オオタは消えて行った。
車名のオオタは自動車の生産を始めた太田祐雄に由来する。