4輪駆動車のはじまり

1800年代に自動車が発明され実用化されたが、それらの技術は戦争兵器へと転用され、それまでなかった戦車や潜水艦などの兵器を生み出し、自動車をさらに発展させた。

まだ自動車が一般的でなく一部の金持ちのものであった時代には自動車の普及は主に交通機関として発展していたため、自家用乗用車としては生産量が少なかったが、兵器としてそれらが(自動車以外も含めて)開発生産されるようになると大量生産が可能になり、軍事技術がエンジンなどの自動車技術へフィードバックされるようになった。

第二次世界大戦で活躍したジープのような4輪駆動車は、1920年代には第一次世界大戦の教訓を生かしてアメリカ陸軍といくつか企業で様々な軍用車両が開発されていた。

最初は前輪駆動の機関銃担送車(機関銃を運ぶ車)として生産が始められたが、第二次世界大戦が始まりアメリカの参戦が近くなった1940年ころには前輪駆動から4輪駆動に変更され、バンタム、フォード・ピグミー、ウィリス・クァドが試作された。

それらの車両の最良点を集めて試作車MAが作られ、それに改良を加えたMBが1941年から生産に移された。ジープの名は一連の試作モデルで使われMBモデル以降に定着した。

その後、ジープは海岸やジャングルなどの悪路を走破し、第二次世界大戦で大活躍を見せ、水陸両用ジープも加えて64万7000台あまりが生産された。

4輪駆動車は米英などの連合軍と対峙する日本、ドイツでも開発され実戦で使われていた。自動車は整備された道路の上を走るものだが、戦場の自動車では道なき道を走ることができることが要求されるため、日本でも4輪を駆動しし悪路を走破する不整地走行車「くろがね4輪起動車」が生産された。4輪起動は今までいう4輪駆動車の意味になる。

ドイツでは国民大衆車として開発されたVW(KDF)後のVWビートルをベースに4輪駆動車キューベル・ワーゲンと水陸両用のシュベム・ワーゲンが開発生産され戦場で使われた。

 

キューベル・ワーゲン

第二次世界大戦は物量の戦争といわれ、ジープの生産台数が64万7000台に対して、ドイツVWの不整地走行車(KDF)は7万台、日本のくろがね4起動車は4500台に過ぎず、米国との国力の差は歴然であり、それが勝敗を分けた大きな要因になった。

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