いすゞ ヒルマン ミンクス

戦前トラックメーカーとして歩み続け乗用車生産の経験の無い、いすゞ自動車は乗用車市場へ進出するためイギリスのルーツ社と提携した。その内容は1953年からノックダウン生産から始め、順次国産化する提携契年であった。

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ヒルマンミンクスMk.Ⅷ 1955年第2回東京モーターショー日比谷公園

1953年10月にいすゞ自動車大森工場で完成した第一号車はタイヤとバッテリー以外はすべてルーツ社から供給された部品を使用した。そのMk.Ⅵヒルマンミンクスはサイドバルブ4気筒1265cc、37.5馬力/4200rpmの4人乗り乗用車であった。

1955年にはイギリスのルーツと同じ時期に新設計のOHV4気筒エンジン1390cc43馬力/4400rpmに出力が向上し5人乗りのMk.Ⅷになった。

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1954年第一回東京モーターショー(当時の呼び名は全国自動車ショー)のヒルマンミンクスMK.Ⅶと2トーンカラーの1956年ヒルマンミンクスMK.ⅧA

1956年にはサイドモールを後端まで伸ばしそれを境にした2トーンに塗装が塗り分けられたMk.ⅧAモデルが登場した。

1956年にはイギリスの後を追ってボディをフルチェンジさせた新しいヒルマンミンクスが発表された。このフルチェンジでホイールベースが長くなり、リアアクスルを後席の後ろに位置させたことで、後席の乗心地が改善された。エンジンはMk.Ⅷと同じであったが、標準形で46馬力/4600rpmに出力が向上し、圧縮比が7.0から8.0に高められた51.5馬力の高出力仕様が加えられ、最高速は標準仕様の123kmに対して高出力仕様は128kmであった。

この間に部品の順次国産化が進み1957年10月には完全国産化が成し遂げられた。完全国産化とともに、いすゞ製ヒルマンミンクスには独自の改良が加えられていった。その主なものはエンジンと足回りの強化であった。

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1957年ニューヒルマンミンクスと1958年ヒルマンミンクス スーパーデラックス

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1959年ヒルマンミンクス ジュビリーデラックス

1958年のジュビリの愛称がつけられたヒルマンミンクスのエンジンOHV4気筒エンジン1390ccはスタンダードモデルへ50馬力とデラックスモデルへ55馬力に出力がアップエンジンが搭載された。またサスペンションは日本の道路事情に合わせ強化され、ジュビリミンクスから6人乗りの室内寸法がとられた。

1960年形ではエンジン排気量が1494ccになりスタンダード60馬力、デラックス62馬力となり、イギリス本国の57.5馬力をいずれも上回った。イギリス本国では1600ccモデルのスーパーミンクスが登場したがいすゞヒルマンミンクスは1500ccを1600ccのスーパーミンクスへは昇格させずに終わった。

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1960年ヒルマンミンクス スーパーデラックス

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1961年ヒルマンミンクス デラックスと1961年ヒルマンミンクス スタンダード

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1962年ヒルマンミンクス スーパーデラックス この後1963年に68馬力kら70馬力へエンジン出力が高められた以外の変更はされることなく1964年まで生産が続けられた。

いすゞ ヒルマン ミンクスは1953年から1964年の生産打ち切りまでの11年間で8640台が生産された。

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